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心と身体に優しいインド舞踊

インド古典舞踊(モヒニアッタム)で、心も身体も元気に!

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人を崇めるのではなく、道を究める。

日本の神話を踊ってはどうか?と師匠から言われて慌てて古事記を調べ始めた。
私はほとんど古事記に対する知識がなかった。
踊りになりそうな物語をピックアップして師匠に説明して、歌詞が出来、音楽が出来振り付けが出来た。
インドでの公演は以外にも評判が良かった。日本の神話はインドの神話から遠くない。
けれども、表面だけの知識で踊ることが躊躇われ、帰国後様々な古事記の勉強会に出た。
世界チャンピオンに輝いたエステシャンの女性が開く古事記を通じて和の心を学ぶ会にもいった。
その方を心酔する人たちは、一言一言に涙した
古事記を朗読する早稲田の授業にも通った。
声に出しその響きを感じることで古代と繋がるという授業は興味深かったけど、講師の人の性格についていけなくなった。
天皇の玄孫といわれる方の勉強会にもいった。
まるで右翼の会なのかと思ってしまった。
小野善一郎先生という古事記と大祓詞を通じて日本元気にするという情熱をもった方にも出会えた。
その小野善一郎さんを講師に勉強会をしている会にもいくつか出た。小野さんのお話はいつ聞いても素晴らしかった。
慌てて古事記を調べた時期に比べたら、ずいぶん認識は深まったと思う。
けれども、私はすっかり疲れ果ててしまった。
古事記は学べば学ぶほど奥が深く、私の中で眠っている和の心を目覚めさせてくれたような気がする。
けれども、出会う人との関係に翻弄された。
小野先生は、古事記を学ぶことで、私たちは謙虚にならないといけないことを
心にある嫉妬心や傲慢さを祓って謙虚にならなければならないと涙ながらに訴える。
でも、そのことを実行している方たちがどうれだけいるのか疑問だ。
もちろん私は出来ていない。でも、自分が出来ていると思っている人ほど怪しいと思ってしまう。
綺麗な言葉とは裏腹に、まるで皇帝、女帝のように周りの人を支配下に置きコントロールしようとしているのではないか、
と思われる人が多くいる。
古事記に救われ、古事記を利用して人の上に立とうとする人たちは確実にいる。
どれだけ伊勢を参拝しても、出雲に出向いても、それは自慢にはならない。
むしろ、参拝するほど自分が崇められる存在であると勘違いしているのではないだろうか?
私は誰も崇め奉りたくない。どうして人が人を崇めるのだ。
なんのための勉強なのか。
小野先生が涙ながらに訴え続けるのは、なかなか自分の願いが通じないからなのかもしれない。
「先生、私は先生の言葉実行できないけれども、少し休ませてください。」とメールをだした。
物語を表現する材料は揃った。
伊勢にも出雲にも行ったことも、超体験もないけれども、それに対してひるむことはもうない。
私は舞踊家だ。
舞踊の道をひたすら究めればよいのだ。
道を究めること、それはいつか神に繋がるのかもしれない。
余計なことに振り回されないで、ひたすら芸の道を歩くことを此処に宣言する。
そして、私の宣言に小野先生はエールを送ってくれた。
道とは神に進む道。迷いなく進めと。
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コメント

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お釈迦様も私に帰依してはいけない。法(ダーマ)に帰依しなさい、と言って300年ほどは像すらできなかった。佐保田ヨーガの佐保田鶴治先生は、宗教心を持つことと、宗教団体を信じることは違うのですと言われた。私も、ヨーガに帰依するが、特定のヨーガ指導者に帰依しないようにしています。多分、仏教の方たちもそのような道を辿り、釈迦以前の釈迦(ジャータカ物語)を考え出されたのかもしれません。今見ている人、物、のは以後にあるものを想定して、それに帰依する。佐保田先生は、ヨーガは自身の体の中にお社(神様の住む場)を作りなさいと。宗教のいろいろな儀軌を取り除いた最後に自身の中に何が残るか、それが本当の信だと思います。

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maruhashi

インド古典舞踊家 丸橋 広実

南インド ケララ州の古典舞踊 モヒニアッタムの舞踊家です。
ヨーガ、ジャイロトニック、ジャイロキネシスのインストラクターでもあります。
美味しいもの、心と体に優しいことが大好きです。

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