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心と身体に優しいインド舞踊

インド古典舞踊(モヒニアッタム)で、心も身体も元気に!

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占いで母のことを振り返る

2019年10月を最後にブログを書くことを中断しておりました。
それから慌ただしい日々を過ごしておりましたら、コロナの時代に突入。
コロナ時代でも、オンライン公演や動画作成の依頼等で踊る機会はあるけれども
収入源となるフィットネスのインストラクターの仕事は時間を減らされてしまいました。収入はダウン。
そこで、以前からやっていた介護予防運動指導員の仕事を増やしたり、ディケアセンターでスタッフと働くようになりました。
また、マラヤーラム語の翻訳通訳も増えてしまい、なんだかコロナ以前より超多忙になってしまいました。
高齢者相手の仕事は私に向いているようで楽しいですが、踊る時間さへもままならなくなり日々追われていました。
そんな中、二年ぶりに二泊三日の座禅断食に行ってまいりました。
忙しい日々から解放され、自分が本当に何をやりたいのか見つめてきました。
たまたま隣に座ったのが、占い師のティーラさん、休み時間に特別に占っていただきました。
私には母の強い影響が見えるというのです。
母が亡くなり20年もの月日が経ちます。でも、母は今でも私の反面教師のような存在でした。
病気がちで自己中心な母は、いつも不機嫌で部屋に閉じこもっていることが多かったのです。
私は母のように、病気になったり、何もしないで過ごしたりしたくない、いつでも何かを学び続けたい、成果を上げたい、という想いが私のエネルギーにもなっていました。
でも、ティーラさんが告げたのは、私に思いもよらないことでした。
「お母さんは、あなたを生んでさらに弱ってしまったことを、どこかで子供のせいにしてしまっていたのかもしれませんね。そのため、本当は愛情があるのに、それを表現できなかったのではないかしら。
確かに、高校を中退するほど、体の弱い母が3人も子供を産んだのは不思議ではありました。
また、五歳ほど離れている姉と私の間の子供は育てる自信がないと堕胎をしたと聞かされました。
私は堕胎する機会を失ったのか、この子は欲しいと思って生んだのかはわかりませんが、生んだものの体力が追い付かなかったのかもしえれません。父は愛情をもって接してくれたのでなんとか曲がらずに?育ちましたが。
ティーラさんは、姿はない母に向かってかたりかけました。「あなたが望んで生んだんでしょう?つい子供のせいにしてしまったのね?」母がそばに来ているというのです。
私はなんだか、一人の人間として母の気持ちが少しわかったような気がしました。
母もつらかったんだろうな、もっとやりたいこともあっただろうにな、、としみじみ思います。
高齢者の方々の中には、母の面影を見たりすることがあります。
母に優しくできなかった分、高齢者の方に優しくしてあげたい気持ちがとてもあります。
これも、ある意味母の影響なんですね。
もう、母は反面教師ではなく、私を生んでくれたことに感謝して、体が弱くてできなかったことを私がその分やってあげようと、少しポジティブになれました。
占いって素敵なメッセージなんですね。ティーラさん、ありがとう。




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受賞者の憂鬱

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日本カイラりとは日本在住のケララの人たちのコミュニティーである。
葛西地区中心に600人ぐらい日本医在住しているらしい。多くはITカンパニーなどのビジネス関係の方で占める。
ケララ州はインドの中でも教育熱心な地域のため優秀な人材が多く出る。
女性でも大学院は当たり前の世界だ。実際、ケララにいると「大学しかでていないの?」と驚かれることがある。
私はそのコムにティーからこの度、初の功労賞Keraleeyamに選ばれた。ケララ州の文化を日本に紹介してきたことに対する章だ。
9月28日に葛西のホールでインド大使館の方や、日本初のインド人で区議会議員に選ばれたヨギさんなどが主賓でよばれ盛大に授賞式が行われた。たくさんのお祝いの言葉を頂いた。
私は嬉しい反面、ププレッシャーを感じてしまっている。
彼らが、なぜ、賞をくれるのか?を考えてしまうのである。30年続いている日本カイラリの活動を日本に知らせたいからなのではないだろうか?私を広告塔にしたいのではないだろうか?と、つい考えてしまう。
現に自分で日本の各新聞社に連絡するように頼まれてしまった。
はたして、私が新聞社に電話したところで、取り上げられるだろうか?私は彼らの期待にどう応えたらいいのだろうか?
と一人でプレッシャーを抱えてしまい苦しくなってしまった。
区議会議員のヨギさんに友人を通して頼んだり、学生時代からの友人、毎日新聞の油井君に泣きついたりしてみた。なんとか記事にしてくれるらしい。
日印協会にも連絡したが、反応はいま一つ。えー日印協会でさへ??
やはりケララ州はまだまだ日本から遠いらしい。インド舞踊はマイノリティー過ぎて取り上げられない、という現状を突き詰められたような気になり落ち込む。
昔だったらどうか?インドで度々賞を受賞した時は、悩まなかったような気がする。手放しで喜ぶということもなかったが、新聞記事でトップを飾ったり、記者会見なんかもあったり、芸能人になった気がして面白かった。
これが年を取るということなのだろうか?相手側の思惑が見えてしまい、期待に応えようとするが、現実が経ち塞ぐ。
とりあえず、やるだけのことはやってみた。
期待に応えようとしなければ疲れないのだが、これも私の性なのか。
でも、きっと世の中の多くの人が毎日期待に応えようと頑張っている。
良き父や母として、良き夫や妻、良き子どもであろう、会社でも期待に応えようと日々努力しているのだと思う。
特に日本人は真面目過ぎるのであろう。
私も日本人だったのね、と改めて思う今日この頃、、
さあ、気持ちを切り替えて舞台に戻ろう。
舞台はお客さんの期待に応えるというよりは、自分自身を生きられる唯一の私の場所のような気がする。
だからこそ、私には大切な場である。
自分が自分で居られる場所。あと、何回人生で舞台に立てるのだろうか?イベントとかではなく、舞台が好きだ。
一回一回大事にしていきたい。


苦手なことに挑戦すること

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この四か月間、最も苦手なことに挑戦してきた。
それは、歌うこと。自他ともに認める音痴。
カラオケなんて行ったら、場が静まり返るほどの音程が取れない。からかうのも躊躇われるほど酷いのだ。
なぜ、それなのに挑戦してきたか?
それは、ヴォーカリズムという新しい資格を取るため。
長年ヨーガを教えているが、中には、年齢を重ねていくことで元気がなくなってくる人も増えてくる。
誤嚥や失禁で悩んでいる方もいる。
正しい発声練習をすることは飲み込む力を付けたり、骨盤底筋を鍛えることにもなり、失禁の予防や改善にもなる。
同じフィットネスで働くの玉澤先生のクラスに出させていただいたときに興味を覚えたのだ。
これは高齢者の方々のためになる!そう思ったら、自分が音痴なのも忘れて研修に応募していた。
でも、そんなに世の中甘くなかった。
他の研修生は歌が得意なのは当たり前、プロで音楽活動している人までいる。
場違いな私は毎回、青くなったり、白くなったり、赤くなったり、壊れた信号機のようだ。
教官は目を三角にして私に厳しい指導をした。
どうしようもなくなり、主人に泣きつく。主人は音大卒業でギターリストでもある。歌も歌う。
それから毎日特訓が始まった。時にはピアノ、時にはギターで歌の特訓である。
二人で色々な歌を歌うようになった。
そして、試験が近づくと、私がヴォーカリズムの先生で主人が生徒となった。
近所迷惑もいいところである。もしかして、ヴォーカリズム殺人事件なんて起こってもおかしくないかもしれない勢いで歌った。
どうにか音が取れるようになったころ、歌うことが喜びへと変わっていった。
普段の話し声は低いような気がするが、声はソプラノらしい。
歌うことって気持ちいいと初めてこの年で知った。
そして、とうとうオーディションを迎えた。
緊張してしまい、逆にお茶らけてしまう悪い癖が出た。それに対して、厳しい指導官は「高齢者に対して相応しい指導ではない」と言い放った。
毎日、高齢者に指導している私に対してだ。高齢者の方のためにこの資格を取ろうとしているのに、だ。
悔しくてオーディション会場を抜け出して泣いた。気持ち悪くなり、少し吐いた
やり切ったとはいえ結果が恐ろしかった。
そして、今日、合格の通知をもらった。でも条件付き。しスキルを上げる努力をすること。
もちろん望むところである。
今のままではだめなのは一番私が分かっている。
これkらも人の何倍も努力していくつもりである。
高齢者の方の笑顔が浮かぶ。その笑顔を引き出すまでは負けない、くじけない!




自分から変わる

国立リハビリテーション学院の手話通訳科にて身体j表現のクラス非常勤講師になって10年以上たとうとしている。
一年生の前期の授業で3か月だけで発表会にこぎつけなくてはいけないので大変である。
私はインド舞踊家なので、インド舞踊で発表会をやりたいところだが3か月では全く無理な話である。
そのため、1,2曲インド舞踊を編集して踊ってもらうが、後は学生の好きな曲に振付をしたりする。
もともと真面目な学生が多いため、熱心に取り組んでくれるために発表会はなかなか見ごたえのあるとものとなってきた。
今年も大変盛り上がり素晴らしい舞台になった。
でも、私は今までにない後悔を感じている。なぜなら、学生に憤りを見せてしまったからである。過去にも、もちろん、お説教をしたことはある。でも、今年は怒りを覚え、それを表に出してしまった。本当に恥ずかしいことである。
今年の一年生の多くがとても踊ることや表現が得意であった。
その中の一人は入学早々、足して車いすで教室に現れた。
最初は本人も私も戸惑ったが、椅子の踊りという表現に辿り着いた。
その学生の好きな曲のソロとインド舞踊の椅子を使った団体の踊りは大変見ごたえがあったと思う。
その他の学生の踊りもとても生き生きしていて素晴らしかったと思う。

では、なぜ、私が怒りを露わにしたのか?

毎年学年によってカラーがある。
猫に例えると、去年の新入生はおとなしく、ミルクを与えると夫夫のペースで静かに飲んで、それぞれの居場所に行き毛繕いをする感じ。お互いに毛繕いをすることはない。皆一匹猫である。
その前の年の学生はミルクを飲んだ後、牛乳パックで絵ハガキを作りお礼状を出すような丁寧な方々であった。
では、今年の一年生の現状は、ミルクを与えても、ちゃんと飲む子もいれば、それで水浴びをしたり、掛け合ったりして遊んじゃう、飲みたいのに遠慮して隅にいたり、ミルクはいいやと別のえさを探して回ったり、様子をボんやり見ていたり、と様々で、「こらー」と首根っこを捕まえなければいけない感じなんであった。
でも、踊りには熱心に取り組みどんどん良い作品を作る一方、事務的な作業がなかなかできない。
今まで国リハの学生は一言えば十やる方も多く、積極的に自分たちから動く学生が多かった。
そのため、発表会の準備は抜かりなく行われてきた。
でも、今年の一年生は自分から動くことも少なく、言われてもやろうとしないように見受けられた。
ある日厳しく注意した、それから彼らの行動は変わった。
実は、やればできる!優秀な学生ばかりであった。
では、なぜ彼らはやらないのか?
そう多分時代が変わったのだ。
彼らは指示がなければ動けないのだ。
すべて言わないといけない時代になったのだと確信した。
それではどうするか?
私が変わらないといけないのだ。
私がどうすれば、一人ひとりの学生がその優秀さを発揮するのかを手取り足取り指示しなければいけないことになるのだ。
それを今までと違うと言って怒り、学生を責めてしまう自分が本当に恥ずかしい。
人を変えるのではなく、まず、自分が変わる。そのことを肝に銘じて今後、先生という職業をやらせていただこうと思う。

一年ぶりの座禅断食

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久しぶりのブログです。ここまで空いてしまうとブログとは言えないかもしれません。
心入れ替えてブログを更新します。

今年も座禅断食に行ってきました。
座禅断食は最初のころは一年のうちに3回、その後は毎年一回か2回のペースで参加している。
身体のメンテナンスはもちろんのことだが、忙しすぎる日々から抜け出して座禅をすることが私には必要だ。
そして、もう一つの修行。
座禅断食二日目に簡単な衣装を着て踊ること。
まる2日食べていないと、だんだんぐったりして具合の悪い方も出てくる。
その人たちを勇気づけるため、また自分への挑戦も込めて踊ることにしている。
今年も30分間、解説付きで踊ることができた。
その後倒れては恥ずかしいので、気合を入れて座禅は続けて、無事に断食明けをすることができた。
明けの食事をして宿便をすべて出し、腸を綺麗にする。
この一年の不摂生を目の当たりにして反省もする。
でも、この体力、気力があるうちはまだ私は大丈夫。
踊りを続けられると自信にもなる。
いつか断食中に踊れなくなったら引退しようと思う。
もしくは踊りながら息絶えることが私の理想である。
座禅断食中だったら、世界で一番尊敬するお坊さんがいるので好都合であるが人に迷惑をかけるから
独り稽古の時、もしくは死期が近づいてきたら山の中に入り踊りながら最後を迎えよう。

このところ、ブログが書けないほど、忙しさを言い訳に自分と向かい合わないできた。
見失うことなく、自分の体と心に寄り添って踊っていくことをここに誓う。

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maruhashi

インド古典舞踊家 丸橋 広実

南インド ケララ州の古典舞踊 モヒニアッタムの舞踊家です。
ヨーガ、ジャイロトニック、ジャイロキネシスのインストラクターでもあります。
美味しいもの、心と体に優しいことが大好きです。

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