心と身体に優しいインド舞踊

インド古典舞踊(モヒニアッタム)で、心も身体も元気に!

Entries

威風堂々と生きる父のこと

CC0B25DD-9F40-4403-9DE1-805F35354682.png

お盆にちょっとだけ実家に帰った。84歳である。
父は少し瘦せていた。物忘れも多くなった。
でも相変わらず、父は素敵だと思う。
煙草が止められずに、肺は95歳と宣告され手、時々咳が止まらなくなるらしい。
「それでどうするの?」という私の問いに
「これからは威風堂々と生きればいいんだ。かがまなければ咳は出ないから」と言い切った。
父には煙草を止める選択肢はないらしい。
思い返せば父は人に媚びたりしないけれども、だれとでも仲良く接することができる人だ。
母も、兄も、姉も、私も孫たちもみな父が大好きである。
どうして、こんな美徳が私には受け継がれなかったのだろうと不思議である。
私は好き嫌いの激しい母に似たのね、とつぶやいたら、お盆で帰ってきている母に怒られそうだ。
母にお願いしたい。母の愛する父を今は連れて行かないで欲しいと。
いつか遠いいつかその日が来るまで。
スポンサーサイト

思考が身体にダメージを与える

「色々やった集大成が今のこの体なんだよね」
整体のM先生の厳しい言葉で治療が始まる。
左の足の親指や足首が痛くて久しぶりに治療に行ったのだ。
「余計なことをいろいろやって本質に辿り着いていないんじゃないかな」
耳が痛い。
インド舞踊だけでなく、落語、殺陣、剣詩舞と手を出しすぎなことは自分でもやりすぎ感はある。
でも、たぶんそのことだけではない。
私の思考が問題なのだ。
話しながら治療の中で、(治療といってもほとんど先生は触らない)
つい最近、学生の指導で悩んでいたことなど話す。
なかなか学生同士のチームワークがうまくいかないことに対してどうアプローチしてよいか悩んだということを打ち明けた。
その間に体の中がだんだん繋がっていく感覚がある。
「こんなに自分の体の中が繋がっていないのだったら、人とも繋がれないですね」
そういったとたん、体の痛みが消えた。
目の前に起こる現象は自分の鏡なのだと思い知った瞬間だった。
ばらばらの心と体の状態は、目の前にまとまらない学生同士の中に映し出される。
もし、私がバランスのとれた人物だったら、学生もまとまっていたのだろうか?
うまくいかないことで悩むよりも自分の中のバランスを取ることが大切なんですね。
また、体が痛んだら、そのサイン。

座禅断食明けました

座禅断食が無事に終了した862BF84B-D2C7-43ED-B81B-15E52F1A55B3.png

無事に座禅断食から戻り、予後の5日間も明けようとしている。
三日間寝る以外は、食べずに座禅だけをする。水やお茶は飲む。
3日目の昼に明けの食事をして宿便を出して胃腸をきれいにするのが座禅断食のプログラムだ。
そして、、それから三塚間、たんぱく質や市g器物は禁止。一週間、お酒、肉は禁止。
徐々に日常に戻っていく。
毎日の暑さにビールを飲みたい、お肉を食べたいという衝動がなかったわけではないけれども我慢はできた。
三日間かけて、ようやく綺麗に掃除した胃腸を汚すよりは、欲望を抑えた方が良いと判断ができた。
数えきれないほど座禅断食にはいっているが、その正常な判断はだんだんに狂って行ってしまう。
今回はいつまでもつか自分との勝負である。無理に我慢をする必要はないが、考え方が逆転してしまう。
小食の方が胃腸の負担も軽く、頭もすっきりするのに、疲れたとは言って食べ、ストレスがたまったといって飲む、お付き合いだといって外食をする。
小食で元気になるのではなく、食べて元気になろうとする。
もちろんある程度食べることは必要だが、食べ過ぎてしまうことは本末転倒になる。

372CED94-5CF7-4C7D-8308-AC77BEBF2606.png

さて、今回も二日目の夜に踊りました。多くの方が具合が悪くて横にならないとしんどい中、バシバシ音を鳴らしてステージで踊る私。寝た子も起こす勢いだったのだと思う。皆驚いていただが、私には実はこれがエネルギーの源。踊ることが、食べることよりもエネルギー注入になる。
29F8EDBB-BDB1-4FA6-8C2B-B74BED7CE344.png
古典舞踊は歴史の中でたくさんの人々によって作られ踊り継がれてきたものだから、踊ればその古代からのエネルギーが体に注がれてくる。そして、私に邪念がなければ、神様や師匠の霊魂が下りてくるかもしれない。座禅断食は邪念を払ってくれる。
そのため、踊っていても、踊った後も辛くはない。
さて、邪念が私を脅かさないように断食明けをした今も気を付けていこう。
9月9日@座高円寺の公演も邪念がない状態で迎えたい。

無償という意味って

またもやブログを更新するのが遅れる。
あまりにもの忙しさに明日から松本へ逃避行。
逃避行といっても座禅断食。何も食べない、何もしない座禅だけの贅沢な時間。
そもそも、普段からやりすぎなのである。何もかも。
言わなくて良いことも言ってしまう。
つい最近の出来事。
出演依頼の一通のメール。
あるフェスティバルでインド舞踊を踊ってほしい。ただし、学生が運営しているため、ギャラも交通費も出ない。
それに対して、断ってもよかったのに、
「私たちが無償で踊るメリットは何なのですか?」と返信してしまう。
「インド舞踊を人々に知ってもらうチャンスです」との返信。
なんだか上から目線で嫌な感じ。学生さんがチャンスを与えてくれるのは果たしてありがたいことなのか?
そこで、「ではあなたたちは私たちの手伝いをしてくださるのですか?」とまたもや余計なことを聞いてしまう。
速攻で返事が来る
出演はお断りします。
こちらから出演のお願いをした覚えがないのに断られる意味が分からない。
学生だから私たちは協力しなければいけないという理屈がわからない。
でも、もし、人間関係ができていて、それが好ましい人物だったらこちらから無償でも踊らせていただくことは過去にも何度もある。
無償で踊ることが嫌なのでなく、何かを振り回して踊れ、と言われるのが嫌なのだ。
踊らしてやる、という態度も嫌だ。

今回は「学生だから」という武器。
私が学生のころ、それを武器に使った覚えはない。
インドで日本人を武器として使おうとしても逆に使われるだけだ。

無償という意味は愛なのだと思う。
愛が生まれる前に無理強いするのはやめてください!
と声を上げていうだけ言って、明日から現実世界から逃避行。
リフレッシュして戻ってきます。


死のワークは今を生きること

環境運動家である辻信一先生が校長である夏のゆっくり小に参加した。
slow small simple 3つのSが大切な時代に今私たちはいることを経済学の視点から学んだり、
世界で様々な活動をしている方々からのメッセージを受け取る学校だ。
なぜ、小学校?小の意味はスモール。小さな学校。
昔は学校は過酷な労働から離れて休めるところだったという。
ゆっくり休みながら学び、本来の自分を取り戻す機会なのだ。
最近の私といえば、インド舞踊のみならず、殺陣や剣詩舞にまで手を出しているので体を酷使している。
二日間は体を強制的に使わない時間を作るためにも参加した。まさに、ゆっくりするために参加した。
一日目は私の大好きなピアニストのウォンさんがゲストで来ていた。
ピアノで癒されたいと思ったが、彼は私たちを死のワークへと導いた。
彼は死のワークのインストラクターという一面も持っていたのだ。

6月15日に私のインド舞踊のリーラーマー師匠が他界した。
子宮癌を患い闘病生活を送っていたものの、私には覚悟ができていなかった。
20年近く師弟関係に留まらず、友であり、母であり、姉のような存在であった。
二年前に舞踊劇のサディ師匠が亡くなった時も立ち直るのに半年かかった。
恥ずかしい限りだが、睡眠導入剤を飲まない限り一睡もできなかった。
サディ師匠とリーラーマ師匠も師弟関係にあり仲が良かった。
私は愛する二人のいる世界に逝きたいと思った
そして、とうとう死のワークが始まる。死にゆく人,看取る人がペアを組む。
私は死にゆく人となり死の世界をイメージして入り込んでいく。
看取る人は私の話を聞いたうえで話しかけていく。
「ほら、二人の先生が迎えに来ているでしょう?」
本当に目の前に二人の師匠が現れた。
その表情は恐ろしいほど怒りを露わにしていた。
「あなたが来るところではない。帰りなさい」と私に背を向けた。
そして次にリーラーマー先生が自然の中で美しい姿で立っている姿が目に浮かんだ。
それは師の愛した芸術学校の庭であった。
そう師は痛みから離れて愛する庭に帰ることができたと知った。
それから私を看取る人の涙を流しながら私に話しかける声が聞こえてきた。
この世に戻るよう促され私は戻ってきた。涙が次々へと溢れた。
もう私は大丈夫だ。師とお別れができた。
師匠は私が側に行くことは望んでいない。
そして、師匠の魂は自然の中で美しく輝いている。
私は今を生きることを誓った。

Menu

 

bulletプロフィールbullet

maruhashi

インド古典舞踊家 丸橋 広実

南インド ケララ州の古典舞踊 モヒニアッタムの舞踊家です。
ヨーガ、ジャイロトニック、ジャイロキネシスのインストラクターでもあります。
美味しいもの、心と体に優しいことが大好きです。

bullet検索フォームbullet

bullet最新記事bullet

bulletQRコードbullet

QRコード